「延命治療は望まない」――その言葉を、どこに残すか

まず、この話がどういう性質のものかを確認しておきます。

ご家族が「決めさせられる」場面がある

ご家族が倒れ、意識が戻らない。医師から「人工呼吸器をどうしますか」「胃ろうを造りますか」と尋ねられる――終末期医療の現場では、こうした場面が現実に起こります。そのとき、ご本人の意思が分からなければ、ご家族が決めることになります。

私たちがご相談を通じて痛感するのは、この「決めさせられること」が、ご家族にとってどれほど重いかということです。決めた側は、その後何年も「あれでよかったのだろうか」と考え続けます。ごきょうだいの間で意見が割れれば、そのしこりが相続の場面にまで持ち越されることさえあります。

意思表示を残す目的は
ご自身のためであると同時に
決断を託される方を守るため
「本人がそう言っていた」という事実が、ご家族の背中を支えます

残し方には段階がある

意思の残し方には、手軽なものから正式なものまで幅があります。おおまかに整理すると、次のようになります。

方法形式費用の目安主な性格
エンディングノート 自由書式 数百円〜 思いを幅広く書き残す。法的な効力を前提としない
リビング・ウイル(LW) 協会等の書式/自作 無料〜(協会は会費制) 終末期医療についての意思表示に絞った書面
尊厳死宣言公正証書 公正証書 1万3,000円程度+実費が目安 公証人が関与し、作成時の本人確認・意思確認がなされる
ACP(人生会議) 話し合いと記録 書面ではなく繰り返し話し合うプロセス

大切なのは、これらが「どれかひとつを選ぶもの」ではないということです。実務的には、書面を作り、それを家族とかかりつけ医に共有し、話し合いを重ねるという組み合わせが、いちばん機能します。

尊厳死・安楽死・治療の差し控え――まず言葉を整理する

この分野は、言葉が混同されたまま議論されがちです。ここを整理しておくと、以降の話が格段に分かりやすくなります。

尊厳死と安楽死は、まったく別のもの

区分行為の中心日本での位置づけ
尊厳死 回復の見込みがなく死期が迫った状態で、延命のための措置を開始しない、または中止する 一般的に制度化した法律はない。本人の意思・医学的妥当性・手続の相当性などを踏まえて判断される
(積極的)安楽死 苦痛を除去する目的で、薬物投与等により死期を積極的に早める これを合法化する一般的な法律はない。刑事責任が問題となり得る
緩和ケア 苦痛そのものをやわらげる医療 終末期医療の中心的な柱として位置づけられている

「尊厳死を望む」は「安楽死を望む」ではありません

ご相談の場で、「安楽死させてほしい」とおっしゃる方がいらっしゃいます。お気持ちは深く理解いたしますが、ここは制度としてまったく別の話です。リビング・ウイルや尊厳死宣言公正証書は、過剰な延命措置を望まないという意思表示であって、死期を積極的に早めることを求める書面ではありません。公証人も、そうした内容の公正証書は作成しません。

裁判例が示してきた枠組み

日本には尊厳死法がありませんが、刑事事件の裁判例を通じて、判断の枠組みが語られてきました。

東海大学病院事件について、横浜地方裁判所は1995年(平成7年)3月28日に判決を言い渡し、医師による積極的安楽死が許容され得るための要件として、①患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること、②患者の死が避けられず死期が迫っていること、③苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと、④生命の短縮を承諾する患者本人の明示の意思表示があること――という4つを挙げたことが知られています。

また川崎協同病院事件では、最高裁判所が2009年(平成21年)12月7日に決定を出し、気管内チューブの抜管について、患者の推定的意思に基づく適法な治療中止とは認められないとした原判断を維持しました。

[裁判例の読み方について]
これらは個別の刑事事件について責任の有無を判断したものであり、尊厳死を包括的に適法化した判例ではありません。本記事は判例の詳細な解釈を目的とするものではなく、「日本には明確な法律の枠組みがなく、個別の事情に応じた慎重な判断が求められている」という状況をご理解いただくために触れています。個別の事案については、必ず弁護士・医療機関にご相談ください。

リビング・ウイル(尊厳死の宣言書)とは――手軽さと限界

もっとも広く知られている方法から見ていきます。

どういう書面か

リビング・ウイル(Living Will、略してLW)は、回復の見込みがなく死期が迫った状態になったときに、どのような医療を望み、どのような医療を望まないかを、あらかじめ書面で示しておくものです。日本語では「尊厳死の宣言書」「事前指示書」などと呼ばれます。

公益財団法人日本尊厳死協会が発行する書式が広く知られており、会員に対して書式の提供や登録・保管の仕組みが用意されています。もちろん、ご自身で作成することもできます。Will は「遺言」と訳される語ですが、リビング・ウイルは民法上の遺言とはまったく別のものです。この点は第7章で改めて扱います。

書く内容の例

[「延命措置」を具体的に書けるか]
実務でつまずきやすいのが、「延命措置」という言葉の抽象度です。人工呼吸器、心肺蘇生、人工透析、昇圧剤、輸血、胃ろうなどの人工的な水分・栄養補給――どこまでを望まないのかは、人によって考えが違います。「延命治療はしないでください」だけでは、医療現場で判断しきれない場面があります。可能な範囲で具体的に書き、かかりつけ医と内容を確認しておくことをおすすめします。
ご相談事例

※ 以下は、実際のご相談を踏まえて構成した架空の事例です。特定の個人・団体とは関係ありません。

「引き出しに入れておいたのに、誰も知りませんでした」

ご相談にいらしたのは、お母さまを看取られたばかりの50代の女性でした。お母さまは数年前から「延命治療はいらない」と口にされていたそうです。ところが、実際に倒れて救急搬送された際、ご家族はその書面の存在を思い出せませんでした。

「入院してしばらく経ってから、自宅の整理をしていて、タンスの引き出しの奥から出てきたんです」――ご相談者はそうおっしゃいました。書面はきちんと作られており、署名も日付もありました。しかし、救急の現場でも、入院時の説明の場でも、その紙は誰の手にも渡っていませんでした。

「母は、書いておけば伝わると思っていたのだと思います。私も、聞いてはいたけれど、どこにあるか確認していなかった」――そう振り返っておられました。結果として、ご家族はその場で判断を求められることになり、ごきょうだいの間で意見が分かれた場面もあったとのことでした。

私たちからは、この事例から学べることが3つあるとお伝えしました。ひとつは、書面は「作ること」より「渡しておくこと」だということ。ご家族、かかりつけ医、入所施設、そして意思を推定してほしい方に、写しを渡しておくのが基本です。ふたつめは、保管場所を家族に伝えること。みっつめは、元気なうちに、口に出して話しておくことです。

ご相談者は、この経験を踏まえて、ご自身のリビング・ウイルを作られました。そのうえで、お子さまとかかりつけ医に写しを渡し、年に一度、内容を見直すと決められたそうです。「母のときにできなかったことを、自分でやっておきます」――そのお言葉が、この分野の要点をすべて言い表しているように思います。

尊厳死宣言公正証書とは――作り方・費用・書く内容

次に、公証役場で作る方式を見ます。

どういう書面か

尊厳死宣言公正証書とは、公証人の面前で、ご本人が終末期医療についての意思を述べ、その内容を公正証書にしたものです。財産の処分を定める遺言とは別で、生前の医療・ケアについての意思表示を公正証書の形にします。

公正証書にする意味は、「作成の時点で、ご本人に意思能力があり、他人に強いられたのではなく、その内容を述べた」という事実が、公証人の関与のもとで記録される点にあります。「本当に本人の意思なのか」「認知症になってから書かされたのではないか」という疑いが入り込みにくくなる――これが、私署の書面との実質的な差です。

作成の流れ

  1. 公証役場に相談・予約する 「尊厳死宣言公正証書を作りたい」と伝えます。全国どこの公証役場でも構いません。
  2. 文案を打ち合わせる どこまでの措置を望まないのか、苦痛緩和はどうしてほしいのかを整理します。可能であれば、かかりつけ医と相談した内容を持ち込むと精度が上がります。
  3. 必要書類を用意する 本人確認書類(印鑑登録証明書と実印、または運転免許証等)が必要です。必要書類は公証役場によって案内が異なることがありますので、予約時にご確認ください。
  4. 公証役場で作成する 公証人がご本人の意思を確認し、公正証書を作成します。ご本人が公証役場に行けない場合、出張してもらえる取扱いがあります(別途費用がかかります)。
  5. 正本・謄本を受け取り、共有する ご家族、かかりつけ医、施設などに写しを渡します。ここまでやって、はじめて機能します。

費用の目安

公証人の手数料は公証人手数料令で定められています。同令には、法律行為の目的の価額を算定することができないときは、その価額を500万円とみなすという規定が置かれており、日本公証人連合会の案内では、この区分の証書作成手数料は1万3,000円とされています。尊厳死宣言公正証書についても、おおむね1万3,000円程度が目安として案内されることが多い金額です。ただし、どの条項にもとづいて算定するかの扱いは、公証役場によって説明が異なることがあります。

[手数料は2025年10月に改定されています]
公証人手数料は2025年(令和7年)10月1日施行の改正により引き上げられています。それ以前に書かれた解説記事やウェブサイトには、旧額(1万1,000円)が記載されていることがあります。最新の手数料は、必ず日本公証人連合会の手数料の案内または公証役場でご確認ください。
証書作成手数料 1万3,000円程度
+ 正本・謄本の交付手数料など実費
+ 出張を依頼する場合は加算
枚数・出張の有無等により変わります。金額は必ず公証役場でご確認ください

実際の総額は、証書の枚数、正本・謄本の通数、出張の有無によって変わります。正確な金額は、予約時に公証役場へお尋ねください。公証制度の概要は日本公証人連合会のサイトでご確認いただけます。

[公正証書遺言と一緒に作る方が多い]
実務では、公正証書遺言を作るタイミングで、あわせて尊厳死宣言公正証書も作成する方が少なくありません。同じ公証役場で続けて作れますし、「亡くなった後のこと」と「亡くなる前のこと」を一度に整理できるという利点があります。公正証書遺言については公正証書遺言の作り方の記事をご覧ください。
― 私たちから一言 ―

紙より強いのは、「話しておいた」という事実です

この分野のご相談をお受けするとき、私が最初に申し上げるのは、少し意外に聞こえるかもしれないことです。「公正証書を作れば安心、というわけではありません」――こうお伝えしています。

もちろん、公正証書にする意味はあります。ご本人の意思であることが記録に残り、あとから疑いを差し挟まれにくくなる。それは確かな価値です。けれども、医療の現場で実際に効いてくるのは、その紙が「そのとき、その場にあるか」、そして「ご家族が本人の考えを知っているか」なのです。

私たちがお会いしてきたなかで、いちばん穏やかに看取りを終えられたご家族には、共通点がありました。ご本人が、元気なうちから、繰り返し話しておられたのです。「私はこう考えている」「もしこうなったら、こうしてほしい」「あなたに判断を任せる」――特別な言葉ではありません。ただ、それを一度ではなく、何度も、家族の前で口にしておられた。だからご家族は、いざというときに「決めた」のではなく「思い出した」のです。この違いは、その後の人生に効いてきます。

反対に、いちばん苦しまれるのは、ご本人の考えを誰も聞いていなかったご家族です。「延命はしなくていい」と言った気もするが、確信がない。ごきょうだいの記憶も食い違う。そのなかで、誰かが決めなければならない。その重さを、私は何度も見てまいりました。

ですから、どうか順番を間違えないでください。まず、ご家族と話してください。そのうえで、書面に落としてください。そして、その書面を渡してください。書面は、話し合いの代わりにはなりません。話し合いを形にして支えるものです。当センターでは、終活のご相談のなかで、この意思表示の整理もあわせてお手伝いしております。「そろそろ考えておきたい」――その段階でお声がけいただくのが、いちばん良い形になります。どうぞお気軽にお電話ください。

一般社団法人相続なんでも相談センター 代表理事 宮野 宏樹

法的拘束力はあるのか――「効く」とはどういうことか

ここが、この記事のいちばん大事な部分です。

日本には尊厳死を制度化した法律がない

2026年8月時点で、日本には、尊厳死を一般的に制度化した法律はありません。尊厳死宣言公正証書も、法律に基づく特別な制度ではなく、公証制度を利用したご本人の意思表示という位置づけです。

したがって、「公正証書にしたから、医師は必ずその通りにしなければならない」とはいえません。次のようなことが、書面だけで自動的に実現するわけではない、というのが一般的な理解です。

では、何が「効く」のか

拘束力がないなら意味がないのか――そうではありません。効き方が違うのです。

書面は「命令」ではなく
医療・ケアチームが判断するための、最良の材料
本人の意思が確認できるかどうかが、判断の出発点になります

後述する厚生労働省のガイドラインは、本人の意思を基本に方針を決めるという考え方を示しています。そして、ご本人が意思を表示できない状態になったときには、ご家族等が本人の意思を推定するという手順が置かれています。そのときに、書面と、生前の話し合いの記録が、決定的な意味を持ちます。

言い換えれば、書面は「医師を縛るもの」ではなく、「ご家族が本人の意思を推定するときの、いちばん確かな手がかり」として働きます。ご家族が「本人はこう言っていました」と、根拠をもって伝えられる。それが、この書面のもっとも現実的な価値です。

医療者は書面だけで判断するわけではありません

医療の現場では、書面の内容だけでなく、現在の病状、回復の見込み、書面を作成した当時の意思能力、記載の具体性、ご本人の現在の意思、医学的な妥当性などを総合的に確認して判断されます。10年前に書いた書面が、いまのお考えと一致しているとは限らないからです。だからこそ、定期的に見直し、日付を新しくしていくことが実務上とても重要になります。

救急搬送の場面には別の難しさがある

心肺停止の状態で救急要請がなされた場合、救急隊は救命を前提に活動します。「リビング・ウイルがあるから蘇生を中止する」という全国一律のルールが定められているわけではなく、心肺蘇生を望まない傷病者への対応は、各消防本部の要綱や、かかりつけ医との連携のもとで運用されているのが実情です。

したがって、「119番通報をすれば、書面のとおりに扱われる」とは限りません。在宅での看取りをお考えの場合には、かかりつけ医・訪問看護・ケアマネジャーと、あらかじめ段取りを相談しておくことが欠かせません。お住まいの地域の取扱いは、地域の消防本部やかかりつけ医にご確認ください。

厚生労働省のガイドラインとACP(人生会議)

ここまでの話の土台になっているのが、厚生労働省のガイドラインです。

ガイドラインの正式名称と改訂

正式名称は「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」です。2018年(平成30年)3月に改訂され、それまで病院を主に想定していたものが、在宅医療・介護の現場も対象に広げられ、介護職を含む「医療・ケアチーム」という考え方が明確にされました。あわせて、ACPの考え方が強調されています。

ガイドラインが示す考え方

[「家族が同意したから中止できる」ではありません]
ガイドラインが示す手順は、本人の意思の確認・推定を出発点としています。ご家族の同意だけで方針が決まる仕組みにはなっていません。逆にいえば、ご本人の意思がはっきりしているほど、ご家族は「決める」立場から解放されるということでもあります。

ACP(アドバンス・ケア・プランニング)=「人生会議」

ACPAdvance Care Planningの略で、将来、ご自身が意思を伝えられなくなる場合に備えて、大切にしていること、望む医療・ケア、避けたい医療・ケア、意思を推定してほしい人などを、ご本人・ご家族等・医療者があらかじめ、そして繰り返し話し合うプロセスを指します。

厚生労働省は、2018年(平成30年)11月に、ACPの愛称として「人生会議」を公表し、普及・啓発を進めています。

ACPは一枚の書面ではなく
繰り返される話し合いそのもの
書面は、その話し合いの到達点を記録したものと位置づけられます

ここが、書面中心の発想との大きな違いです。「一度書いて終わり」ではなく、体調や考えの変化に応じて話し合いを重ね、そのつど記録し、共有していく。ご本人が意思を伝えられなくなったときに効いてくるのは、この積み重ねです。

「意思を推定してほしい人」を決めておく

ガイドラインは、ご本人の意思を推定できる信頼できる者を、あらかじめ定めておくことを求めています。実務的には、これがきわめて重要です。お子さまが複数いらっしゃる場合、「誰に聞けばよいのか」が決まっていないと、そこから意見が割れます。

ですから、書面には「私の意思については、長女◯◯に確認してください」といった形で、推定してもらう方を明示しておくことをおすすめします。その方ご本人に、そう決めたことを必ず伝えておいてください。知らされていない方が突然その役割を担うのは、あまりに酷なことです。

遺言・任意後見・死後事務委任との違い――医療同意は代理できるのか

終活の場面では、いくつもの制度が並びます。それぞれ守備範囲が違います。

制度主な目的効力が及ぶ時期
尊厳死宣言・LW 終末期の医療についての意思表示 生前(人生の最終段階)
任意後見契約 判断能力が低下した後の財産管理・生活・療養看護に関する法律事務 判断能力低下後(任意後見監督人の選任後
財産管理委任契約 判断能力があるうちからの財産管理の委任 契約で定めた時点から
死後事務委任契約 葬儀・納骨・行政手続きなどの死後の事務 死亡後
遺言 財産の承継など法律が定める事項 死亡の時から(民法985条)

遺言に「延命治療を望まない」と書いても機能しない

これは、意外なほど誤解の多い点です。遺言に尊厳死の希望を書いても、その記載によって医療現場を動かすことはできません。理由は2つあります。

  1. 法定遺言事項ではない――遺言によって法律上の効力が生じる事項は、相続分の指定、遺贈、認知、遺言執行者の指定など、法律が定めるものに限られます。終末期医療の希望は、通常これに含まれません。
  2. 効力が生じるのが死亡時だから――遺言は、遺言者の死亡の時からその効力を生ずるとされています(民法985条)。延命治療の判断は、亡くなる前の場面の話ですので、そもそも時期が噛み合いません。

したがって、終末期医療の意思は、遺言ではなく、リビング・ウイルや尊厳死宣言公正証書といった「生前の意思表示」の形で残す必要があります。

任意後見人に「医療同意権」はあるのか

ここも重要な論点です。任意後見契約を結んだからといって、後見人が本人に代わってあらゆる医療行為に包括的に同意できる、という制度にはなっていません。

任意後見契約で療養看護に関する事務を委任することはできますが、それは入院の手続きや費用の支払いといった法律事務が中心です。手術を受けるか、延命措置をするかといった、身体そのものに関わる決定について、当然に包括的な同意権が生じるとは考えられていません。

だからこそ、書面と話し合いの両方が必要になります

「後見人がいるから大丈夫」「家族がいるから大丈夫」とはいえない領域です。医療機関は、ご本人の意思、事前の発言、LW、ACPの記録、ご家族等による推定意思、医学的妥当性を総合的に確認して判断します。ご本人の意思がどこにも残っていない場合、判断の材料そのものが存在しないことになります。成年後見については成年後見制度、死後の事務については死後事務委任契約の記事もあわせてご覧ください。

尊厳死の意思表示でよくある7つの落とし穴

最後に、実務でとくに多い誤解を7つ、整理いたします。

  1. 「公正証書にすれば、その通りにしてもらえる」と思っている 日本には尊厳死を一般的に制度化した法律がなく、書面が医師を直接法的に拘束するものとはいえません。書面は「命令」ではなく、医療・ケアチームが判断するための最良の材料として働きます。
  2. 作っただけで、誰にも渡していない 引き出しの奥にある書面は、いざというときに存在しないのと同じです。ご家族、かかりつけ医、施設、意思を推定してほしい方に写しを渡し、保管場所を伝えてください。
  3. 遺言に書けばよいと思っている 終末期医療の希望は法定遺言事項ではなく、しかも遺言の効力が生じるのは死亡の時からです(民法985条)。時期が噛み合いません。生前の意思表示の形で残してください。
  4. 「延命治療はしないで」とだけ書いている 人工呼吸器、心肺蘇生、人工透析、昇圧剤、人工的な水分・栄養補給――どこまでを望まないかは人によって違います。可能な範囲で具体的に書き、かかりつけ医と内容を確認してください。
  5. 10年以上前の書面を、そのままにしている お考えは変わり得ますし、医療も変わります。古い書面は「現在の意思と一致しているか」を問われます。定期的に見直し、日付を新しくしておくことが実務上とても大切です。
  6. 「意思を推定してほしい人」を決めていない 厚生労働省のガイドラインは、意思を推定できる信頼できる者をあらかじめ定めておくことを求めています。決めていないと、そこから意見が割れます。決めたら、その方に必ず伝えてください。
  7. 尊厳死と安楽死を混同している 過剰な延命措置を望まないという意思表示と、死期を積極的に早めることを求めることは、制度としてまったく別の話です。後者を内容とする公正証書は作成されません。

この記事のまとめ

  • 延命治療についての意思を残す方法には、エンディングノート/リビング・ウイル(尊厳死の宣言書)/尊厳死宣言公正証書/ACP(人生会議)がある。どれかひとつを選ぶものではなく、組み合わせて使う。
  • 尊厳死は、回復の見込みがなく死期が迫った状態で延命のための措置を開始しない・中止すること。積極的安楽死は薬物投与等により死期を積極的に早める行為で、両者はまったく別のもの。後者を合法化する一般的な法律はない。
  • 東海大学病院事件について横浜地方裁判所は1995年(平成7年)3月28日に判決を言い渡し、積極的安楽死が許容され得る4要件(耐えがたい肉体的苦痛/死が避けられず死期が切迫/苦痛除去のため方法を尽くし代替手段がない/生命短縮を承諾する患者本人の明示の意思表示)を挙げた。川崎協同病院事件では最高裁判所が2009年(平成21年)12月7日に決定を出している。いずれも尊厳死を包括的に適法化した判例ではない。
  • リビング・ウイル(LW)は終末期医療についての意思表示に絞った書面。公益財団法人日本尊厳死協会の書式が広く知られるが、自作もできる。「延命措置」の中身を可能な範囲で具体的に書くことが実務の要点。
  • 尊厳死宣言公正証書は、公証人の面前でご本人が意思を述べ、公正証書にしたもの。作成時の本人確認・意思確認が記録される点に実質的な価値がある。公証人手数料令には目的の価額を算定できないときは500万円とみなすという規定があり、日本公証人連合会の案内ではこの区分の証書作成手数料は1万3,000円手数料は2025年(令和7年)10月1日施行の改正で引き上げられており、旧額(1万1,000円)を記載した解説が残っている点に注意。正本・謄本の交付手数料等が別途かかり、出張の場合は加算される。
  • 2026年8月時点で、日本には尊厳死を一般的に制度化した法律はない。書面が医師や医療機関を直接法的に拘束するものとはいえないというのが一般的な理解。書面はご家族が本人の意思を推定するときの、いちばん確かな手がかりとして働く。
  • 厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」2018年(平成30年)3月に改訂され、在宅医療・介護も対象とし、医療・ケアチームという考え方を明確にした。本人の意思を基本に、話し合いを繰り返し、内容を文書化して共有する手順を示す。積極的安楽死は対象外。
  • ACP(アドバンス・ケア・プランニング)繰り返し話し合うプロセスであり、一枚の書面ではない。厚生労働省は2018年(平成30年)11月に愛称「人生会議」を公表している。
  • 意思を推定してほしい人をあらかじめ決め、その方に伝えておく。決まっていないと、いざというときに意見が割れる。
  • 遺言に延命治療の希望を書いても機能しない。法定遺言事項ではなく、遺言の効力は死亡の時から生ずるため(民法985条)、時期が噛み合わない。
  • 任意後見人に、包括的な医療同意権が当然に生じる制度にはなっていない。療養看護に関する事務の委任と、身体に関わる決定への同意は別の問題。
  • 救急搬送の場面では、心肺蘇生を望まない傷病者への対応について全国一律のルールが定められているわけではなく、各消防本部の要綱やかかりつけ医との連携で運用されている。在宅での看取りを考えるなら、かかりつけ医・訪問看護・ケアマネジャーと事前に段取りを相談しておく。
  • もっとも大切なのは書面の形式そのものではなく、ご本人の意思が具体的で、現在の希望と一致し、ご家族と医療者に共有され、必要に応じて更新されていること。

参考文献(一次情報)

※本記事は一般的な解説を目的としたものであり、個別の事情により取り扱いが異なる場合がございます。本記事は、特定の医療上の選択を推奨するものでも、医学的助言を提供するものでもありません。終末期の医療・ケアの方針は、ご本人の意思、病状、回復の見込み、医学的妥当性などを踏まえ、主治医を含む医療・ケアチームとご本人・ご家族等との話し合いによって決定される事項であり、本記事の記載によって結論を保証するものではありません。書面を作成すれば特定の医療が行われる、あるいは行われないということを保証するものではありません。また、救急搬送時の取扱いは地域・消防本部によって異なります。公証人手数料の額、必要書類、各種制度の運用は変更されることがあります。記載した法令・ガイドライン名・年月日・金額は執筆時点で一次情報により確認したものですが、法令および運用は改正される可能性があります。本記事の内容は2026年8月時点の情報に基づいていますが、実際にご検討される際は、必ず厚生労働省e-Gov法令検索日本公証人連合会などの一次情報で最新の内容をご確認のうえ、主治医・かかりつけ医、および弁護士・司法書士などの専門家にご相談ください。本記事の情報を利用したことによる損害等について、当センターは責任を負いかねます。

「そろそろ、自分のことを決めておきたい」――ご相談ください

FREE CONSULTATION

意思表示の残し方から、公正証書遺言・任意後見・死後事務委任との組み合わせまで。
終活全体の順番を立てて、ご一緒に整理いたします。